Climate of Okayama Pref. - 岡山県の風土
岡山のマスカット栽培の歴史
岡山のマスカット栽培の歴史はなんと130年前、明治時代までさかのぼります。明治維新後、殖産興業策の一環として日本では果実栽培が推奨され、桃やリンゴとともにブドウ(マスカットオブアレキサンドリア等)が欧州から導入されました。荒れ地でも育つということで栽培が始まったのですが、実際には地中海沿岸の高温・乾燥地を起源とするブドウは、高温多湿の日本の気候風土になじまず、失敗が続きました。
そんな中、政府は欧州ブドウの栽培と醸造技術の確立を目的として、国営のブドウ園を立ち上げました。1880年(明治13年)、現在の兵庫県稲美町に開設された「播州葡萄園」です。岡山の元備前藩士である山内善男と大森熊太郎はそこで栽培技術を学び、1886年(明治19年)に岡山市津高地区に当時としては画期的なガラス温室を設け、アレキの収穫に成功しました。ガラス温室という画期的な施設の発明と同時に、「晴れの国」と呼ばれるほど雨が少なく、何より台風や大雪など災害も少ない風土がもたらした成功でもあります。「日中は日当りが良く、夜は冷える」という岡山県の気象は、果樹が育つのに適していました。以来、岡山ではアレキの栽培技術の研究を重ね、現在でもマスカットオブアレキサンドリアは、岡山が全国生産量9割を占めています。
また、岡山では先人からの技や信念を受け継ぎ、温室技術や栽培法を追求しながら、アレキだけではなく時代のニーズに合った多彩な品種のブドウ栽培が行なわれています。
「マスカットジパング」はこうした岡山の長いアレキ栽培の歴史の中で培われた温室技術、栽培方法があるからこそ作りこなせる岡山オリジナルのマスカット品種です。
岡山のぶどう栽培の歴史130年の中で、マスカット・オブ・アレキサンドリアをなんとか作りこなすために、明治時代に開発された屋根がガラス張りの温室施設です。そのガラス温室発祥の地が、林ぶどう研究所がある岡山市津高とされており、マスカットの原始温室(復元)が残されています。
いまではビニールハウスが中心となり、全国的にはガラス温室は大変珍しいですが、ガラスが紫外線を通しにくいという特徴から、皮が柔らかく、繊細な味わいに仕上がります。