「ぶどう界のTOP OF THE TOP」武田祥一さん


どんな巨匠であろうと,業界を超えてその名前が一般に認知されることはほとんどない。けれど,同業者なら誰もが知る一目置かれた存在が必ずどの世界にもいるものだ。岡山市で50年以上に渡ってぶどう栽培に取り組む武田祥一さんもそんな一人である。

 武田祥一さん

片や,千疋屋。こちらは「知る人ぞ知る」ではない。むしろ,「知らない人はいない」と言っていいほどよく知られた高級青果店の代表格である。フルーツを育てるものにとって,その店頭で販売されることは最高の栄誉の一つとも言えるだろう。もちろん,その望みを叶えられる者はほとんどいない。

 

翻って,武田さん。お中元需要が一気に高まる6月末から7月中旬にかけて,10アールのハウスで栽培されたマスカットジパングの全てが千疋屋に出荷される。その数,1,500。最高級ギフトとして,政財界を含む各界の要人へ送り届けられるという。この事実だけで武田さんのぶどう界における存在の大きさが十分に伝わってくる。

 武田さんの圃場。ハウスの奥まで所狭しと並んマスカットジパングは,もはや芸術作品の域。

今年初めての出荷を目前に控えた6月のある日,武田さんの圃場を訪ねた。ハウスの扉を開けた瞬間,思わず声が漏れそうになる。美しい。房全体のフォルム,色,つや,粒張り(りゅうばり),そしてマスカットならではの気品のある香り。ハウスの奥まで所狭しと並んマスカットジパングは,もはや芸術作品の域に到達したように感じられた。

 

この武田さんをして,これまで育てたぶどうの中で最も難しいと言わしめたのが,マスカットジパングである。湿気に弱い,虫に弱い,病気に弱い。武田さんでさえ1年目はほぼ全滅だった。皮がうすく,一粒食べただけで溢れるほどの果汁を感じられるという品種特性も,裏を返せば生産者泣かせだ。皮がうすければ,成長過程で粒が割れやすい。割れると,ぶどうは一気に房全体が傷んでくる。これほど繊細な管理が必要とされるぶどうは他にはない。

 武田さんが栽培に挑み,高値で販売できることを証明したからこそ,マスカットジパングは広く世に認められるぶどうとなった。

さて,新品種が生まれた時,ふつう脚光を浴びるのは開発者である。しかしだ。それが極めて作りにくい品種だった時,評価は少し変わるかもしれない。なぜなら,0から1を生み出す発明も,1から10,つまり実用化され世に広まらなければ,発明として認知されることはない。品種も同じである。武田さんが栽培に挑み,高値で販売できることを証明したからこそ,マスカットジパングは広く世に認められるぶどうとなった。品種開発成功の影の立役者と言っても過言ではないだろう。

 ガラス温室で手間ひまかけてマスカット・オブ・アレキサンドリアを育ててきた歴史が岡山にはある。先人から続く挑戦と失敗の連続がこの地には蓄積されている。

ハウスで自らが育てたマスカットジパングを眺めながら,「岡山以外で作るのは無理やろう。」と,武田さんは言った。栽培面積が限られ,ガラス温室で手間ひまかけてマスカット・オブ・アレキサンドリアを育ててきた歴史が岡山にはある。先人から続く挑戦と失敗の連続がこの地には蓄積されている。

 

どんな気候でも,どんな生産者でも栽培可能なシャインマスカットが全盛のこの時代だからこそ,岡山の風土でなければ作れないことに大きな価値がある。岡山で手間ひまかけ,愛情と情熱を持ったものしか作ることのできないマスカットジパングだからこそ大きな可能性がある。ぶどう界のTOP OF THE TOPはそう語り,大きく笑った。

 武田祥一さん「岡山で手間ひまかけ,愛情と情熱を持ったものしか作ることのできないマスカットジパングだからこそ大きな可能性がある。」